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私の古里/My hometown...

an-aerial-view-of-the-rikuzentakata.jpg

東日本大震災発生から二週間がたちました。気持ち的に大変な期間で今までブログで何か書こうと思ってもなかなかできませんでした。今回の写真は私が撮った物ではないけど、産まれた都市の陸前高田です。

二週間前の木曜日の夜に帰って来て、仙台の近くに地震があったと聞いたら、「いつもの事じゃない」と思いました。若い時に日本で地震があれば、必ず母が向こうの親戚に連絡を取ろうとしたけど、いつも「皆は大丈夫だから心配しないで」という返事がきました。ただ今回のテレビの映像を見たら、全然違いました。仙台の近くの津波が玩具のように車と建物を流しているフッテージを見て、何となく仙台に住んでいる叔父の家の周りに似ている場所だと気付いて、怖くなりました。

その後に破壊された都市の名前も聞き始めました。武蔵家の実家は宮城県境と岩手県境の近くにある福伏というとっても小さな村です。その北と南にある都市もそこまで大きくなくてあまり聞かないです。なので、ニュースで気仙沼が火の海で陸前高田がほぼ壊滅状態だと聞いて驚きました。

地震発生からの最初の数日は情報収集でテレビとパソコンから全然離れませんでした。関東に住んでいる叔母に連絡して、仙台に住んでいる叔父の無事が確認できたけど、陸前高田の方が連絡が取れませんでした。そのあとの火曜日に近い親戚の全員が無事だとやっと確認できたけど、避難所が大変な状態で原発もどんどん悪化し続けていました。この時からは逆にニュースを見れなくなりました。日本がどれだけ大変な事になったか聞いても、自分が何も手伝える事がなくて、聞くのがいやになってしまいました。親戚と連絡を取り続けたけど、それ以外は日本の事を考えたくなかったです。

あれから一週間ぐらいがたったら、あまり何も感じなくなりました。ロスでの生活はいつも通りで、東京でも皆さんがいつものように仕事に戻りました。それから私がまた新聞を読むのを再開して、たまに福島原発の状態も確認しました。やはり日本にいる皆さんの事が心配だったけど、耐えられないほどではなかったです。

東日本大震災発生から二週間がたって、まだ直接に陸前高田にいる親戚とは連絡が取れませんでした。もし自分ができる事があったら、やりたいけど、今はただ待機しています。できれば、今年の夏ぐらいに向こうに行って何か手伝いたいけど、今できるのは遠くから見守る事しかありません。

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It has been about two weeks now since the 9.0 earthquake hit off the coast of Japan and triggered the tsunami which caused so much damage and loss of life. It has been a real emotional rollercoaster and it has taken me a while before I really felt comfortable talking about it. The picture attached to this post was not taken by me, but it is an aerial picture of the town that I was born in, Rikuzentakata.

When I came home that Thursday night and heard that there was an earthquake near Sendai, my initial reaction was, "Big deal, they happen all the time." When I was young I never really understood why my mother would call my relatives in Japan after each earthquake, because the response would always be that everyone was safe and there was no need to worry. Then I started seeing the footage of the tsunami coming in to Sendai and watched as buildings and moving cars were swept away like they were toys. I realized that the landscape that was shown was not so dissimilar from the area around my uncle's house in Sendai and suddenly the pictures on the screen looked much, much worse.

Then I started hearing the names of cities that were destroyed. My actual family home is in a tiny village called Fuppushi which is right on the boarder between Iwate and Miyagi prefectures. The cities to the north and south are far enough off the beaten path that you would rarely hear anyone mention them in conversation. But now Kesennuma to the south, where one of my distant aunt's lived, was a city engulfed in flames. And Rikuzentakata to the north, the city that is on my birth certificate, was "wiped off the face of the earth."

For the first several days, I spent every free moment in front of the television or computer trying to get more information. I was able to reach one of my aunts near Tokyo who informed me that my relatives in Sendai were safe, but there was no way to reach the folks in Rikuzentakata. By Tuesday all of my close relatives were safely accounted for, but things still looked pretty grim at the evacuation centers and the nuclear threat was getting worse all the time. This is when it started to be too much for me. For several days I couldn't stand to watch the news anymore. The details of the damage were bad and getting worse, while I couldn't do anything except listen and wait. I would still get updates from my family, but for the most part I just didn't want to think about what was happening in Japan anymore.

After about a week I think I just started to feel numb about the whole thing. Life here in LA was pretty much the way it had always been. Even things in Tokyo seemed to be back to business as usual. I started checking the front page news again and occasionally reading the details of the state of the nuclear reactors in Fukushima. I was still worried about everyone in Japan, but it wasn't so overwhelming anymore.

Again, it has been two weeks now, but I have still to get in direct contact with my relatives in Rikuzentakata. I stay in touch with my relatives elsewhere, in case anyone needs anything from me, but for now it is mostly a waiting game. My hopes are to find some time this summer to go and help with the rebuilding, once the infrastructure will allow for that. Otherwise, it's just a matter of hoping that things that are out of my control don't take a turn for the worse.

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コメント (3)

amoretto:

こんばんわ、マークさん。
私は神奈川県在住ですが、関東でも当日は今までにない揺れでした。
私はそのとき電車の中にいましたが、電車が横倒れするんじゃないかという状態。家にいた家族も立っていられなかったそうですから、東北地方の方々などは逃げたくてもすぐには立てなかったはずです。それでいて、あの津波。。。逃げられただけでも奇跡だと思っています。
また、まだ昼間だったから助かった人もいたのですが、あれが真夜中だったらと思うとぞっとします。まず九分九厘あの3県の海辺の方々は全滅だったとも思っています。

日本のマスコミは残酷だと判断して映していませんが、外国の方が映した映像がYouTubeに載っているのを観ました。津波が町を襲うところです。
その映像には津波が襲うすぐ先に車や電車が走っていたんです。。。。目を覆いました。。。もうその方たちはだめだったでしょう。何分道路も線路も山に向かって走っていたのではなく海に沿って横に走っていたのですから。

私も何もできません。日本にいても。せいぜい節電や募金活動、あとは買い占めをしないようにするぐらいです。ボランティアといっても、専門の知識や技術をもたない私が行っても逆に足手まといと思い、片付けぐらいならと思っていたのですが、やめました。海外にいるのならなおさらです。

今日本人は我慢しているのです。助けにいきたいのは、みんなやまやまなのです。
でも、自分が足手まといになるだけなのはみんな十分にわかっているんです。
ですから、普通に暮らすことで、普通に暮らして経済を回すこと、こちら側を普通にすることで政府には関東他県に気を回さずに東北地方に力を尽くしてもらおうとみんな必死で行きたいのをこらえているのです。これも一つの方法なのです。


今問題なのは放射能汚染です。これさえなければ、日本はいくらでも復活できるのに。。。。日本人はみんな、とくに弁場にいる方々や被災した方々もそう思っているはずです。
今は汚染されてしまって遺体も確認できない状態です。運ぶ人や運び先が汚染されてしまうからです。

日本人の怒りは今ほぼ政府と東京電力に向かっています。東京電力の報告をそのまま鵜呑みにし、初期対策を怠った政府、そして、この10年間点検をやっていなかった(とばく露されています。東京電力は否定も肯定もしていません)東京電力に。

大変なのは、これからですよ。マークさん。ですから、今は何もできなくていいんです。これからです。これからの日本を手助けしてください。お願いしますm(_ _)m

hitomic:

何年も前に東京のハーフの会で知り合ったマークが立派なスタントマンの役者になっていたのでびっくり&嬉しかったよ!岩手出身だったんだね!!今回の大地震はすごく悲しい事だけど、日本中が団結して乗り越えようとしているから、マークが仕事で活躍していれば、岩手の人が誇りに思うはずなのでアメリカで頑張って!応援しています!

popqueen:

はじめまして。兵庫県のpopqueenと申します(ペンネームで失礼します。)
私、39歳のオッサンではありますが、GARO以来マークさんのファンです。素晴らしい身体能力とこの上ないマスクとスタイル・・・まさにプロです。
お仕事お忙しいかとは存じますが、ブログ更新も楽しみにしていますので、がんばってください。
Best Regards!

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2011年03月26日 02:10に投稿されたエントリーのページです。

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